択捉島の第18師団から派遣されウクライナ東部ドネツク要衝で負傷したロシア兵士のいま…

択捉島の話題

マリ・エル共和国出身で「勇気勲章」を授与されたアレクサンドル・ヴァスコフ氏が、自身の戦闘体験と、重傷を負った後のリハビリの道のりについて語った。(マリースキー・プラウダmarpravda.ru 2026/6/5)

ヨシュカル・オラ出身のアレクサンドル・ヴァスコフ氏は、2022年夏から「ウクライナ特別軍事作戦」に参加し、その後2年以上にわたって病院での生活を送ることとなった。彼はドネツク人民共和国におけるロシア軍の攻勢の最中、複数の負傷を負った。

敵の陣地を強襲する際、彼は真っ先に危険な場所へと踏み込み、敵の機関銃の火力を自分一人に引きつけた。軍の医療チームの懸命な処置により、彼の命は救われた。長い治療期間を経て、この退役軍人は失われた時間を取り戻そうと前を向いている。高等教育を受け、やりがいのある仕事に就き、そして再びギターを弾けるようになることを目指しているのだ。

「当初、私たち砲兵は、突撃部隊を支援し、火力の壁で援護する部隊に配属されていました。しかし、前線での人員不足により、やがて突撃部隊へと配置転換されることになったのです」

大砲が鳴り響くとき……

幼い頃、サーシャ(アレクサンドルの愛称)は芸術学校で民族楽器を学んでいた。ギタリストになることを夢見ていたが、教師たちは「まだ幼すぎて、複雑な楽器を扱うのは難しいだろう」と判断し、まずはバラライカから始めるよう勧めた。懸命な練習が実を結び、小学5年生のときには「マリ・エルの若き才能」コンクールで賞状を授与された。その賞状を手渡したのは、著名な作曲家アンドレイ・エシュパイであった。

その後、アレクサンドルは独学でギターを習得したが、やがて音楽の道を追求することは断念せざるを得なくなった。彼は働きながら、マリ・ラジオ機械技術専門学校の通信課程で学位取得を目指すこととなった。軍務の経験は、プレセツク宇宙基地で初めて積んだ。兵役を終えた後は、リャザン高等空挺指揮学校への入学を計画していた。彼は入学試験には合格したものの、視力不足が原因で身体検査を通過できなかった。それでも軍人になるという志を捨てず、数年後、戦略ミサイル軍に入隊した。

2019年秋、ヨシュカル・オラ出身の彼は、ロシア陸軍第18機関銃・砲兵師団の一員として、択捉島で契約軍人としての任務に就いた。かつてこの地からは、航空機を搭載した日本海軍の空母が出撃し、真珠湾攻撃へと向かった。彼らが戻ることはなかった。80年前、択捉島はソ連の管轄下に入ったのである。今日に至るまで、同島のある湾は、敵軍による上陸作戦が最も行われやすい地点と見なされている。この想定に基づき、クリル諸島(※北方四島を含む千島列島)で行われた軍事演習「ヴォストーク2022」では、防衛訓練が実施された。アレクサンドル・ヴァスコフもこれに参加する予定であったが、運命は別の道を用意していた。2022年8月、彼は混成小隊の一員として、ドネツク人民共和国(DPR)の領域へと派遣されたのである。

「幸運は勇敢な者に味方する」

派遣された砲兵部隊の兵士たちは、突撃中隊に配属された。スラドコエやノヴォミハイロフカといった集落の解放後、マリインカやヴフレダルを巡って激戦が繰り広げられた。特にヴフレダルは、ドネツクの草原地帯における重要な拠点となっていた。この戦線において、ロシア軍は敵を押し戻すための戦術を展開し、陣地へ接近してくる敵を標的として攻撃した。最前線を経験した者であれば、「正面」からの突撃がいかなるものか、そして敵を陣地から排除することが何を意味するのかを理解しているはずだ。

ロシア軍はドネツク近郊で前進を続け、アウディーイウカ方面へと迫っていた。敵の要塞化された地域への突撃の際、アレクサンドルと彼の戦友たちは、ウクライナ軍の戦闘員数名を捕らえた。彼らは敵の塹壕を進み続け、至る所に仕掛けられた危険な罠や、絶えず砲火にさらされる地帯を切り抜けていかなければならなかった。これまでの軍務経験から、アレクサンドルは知っていた。成功は勇敢な者、すなわち戦闘において主導権を握り、それを維持し続ける者にこそ訪れるのだと。重要な局面で、アレクサンドル・ヴァスコフは仲間を率いて前進した。彼はいくつもの傷を負ったものの、その行動によって敵の射撃位置を特定することができ、戦友たちの命を救った。

歩行器を手に、病院の廊下を行く

砲弾の破片が動脈を切り裂き、多量に出血したアレクサンドル・ヴァスコフは、それでも何とか自軍の陣地まで這い戻った。その後、彼はブルデンコ記念主要軍事臨床病院へと搬送された。ヨシュカル・オラ出身であるこの生存者は、担当医であり救急外科部長を務めるアレクサンドル・ヴィクトロヴィチ・ブハリン医師について、「地上に舞い降りた守護天使」と呼び、温かい言葉で語る。

「この主要軍事病院には、回復の可能性が極めて低いほど重篤な傷を負った兵士たちが運ばれてきます」と、取材に応じた彼は語る。「不可能を可能にする外科医たちの『黄金の手』、そして献身的に看護にあたる看護師やボランティアの方々のおかげで、兵士たちは再び健康を取り戻すことができるのです。こうした無私の心を持つ人々のおかげで、何千もの命が救われました」

足の骨が粉砕骨折していたため、治療は長期に及び、幾度もの手術が必要となった。長い入院生活を経て、再び自分の足で歩き出すことは、決して容易なことではなかった。患者のケアに心血を注ぐレナトという若い外科医が、ヨシュカル・オラ出身の彼に歩行器の使い方を教え、病院の廊下を歩けるよう手助けした。その外科医は、マリ・エル共和国出身の彼に対し、「治療が終わったら、私も『ウクライナ特別軍事作戦』の地へ向かう予定だ」と告げた。医師が戦地でどのような任務に就くのか、兵士には詳細は分からないが、彼は「運命がきっと医師を守ってくれるはずだ」と強く信じている。

翼を授けるケア

この退役軍人は、今も移動には松葉杖が欠かせないが、希望を失ってはいない。まもなく、さらなる医学的評価を受ける予定だ。その結果次第では、複雑な手術を受けられる可能性がある。もし実現すれば、この元兵士にとって、再び活動的な人生を送るための道が開かれるかもしれない。また、「祖国防衛者」財団の地方支部による支援も、彼にとって大きな支えとなっている。

「温かく理解をもって接してくれました。私の話に耳を傾け、給付金申請のための書類作成を手伝ってくれたほか、医療リハビリテーションの面でもサポートしてくれました」と、アレクサンドル・ヴァスコフは語る。「支部のチーム、そしてソーシャルコーディネーターのナタリア・ノヴィコワさんには、心からの気遣いとサポートをいただき、日常生活における具体的な課題を解決する手助けをしていただいたことに感謝しています」

この財団のおかげで、この退役軍人は新たな友人を得​​ることもできた。彼らは今、財団のジムで一緒にトレーニングに励んだり、地域活動に参加したり、将来の計画を立てたりしている。さらに、アレクサンドルはここで新たな恋を見つけることさえあった――その話はまた別の機会に。

マリ・エル共和国政府と財団「祖国防衛者」は協力し、ウクライナ特別軍事作戦の退役軍人に対する支援を提供している。

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