クリル上陸作戦を語る時には、必ず出て来る英雄譚。大規模な野外博物館・記念施設が建設されている北千島・占守島には、2人をモデルにした高さ4メートルのモニュメントが、戦後80年の昨年設置された。日本とは全く逆の立場で、「記憶の継承」に国家を挙げて取り組んでいる。それに比べて、日本側の取り組みはどうだろう…。

81年前の8月18日、伝説的なクリル(千島)上陸作戦が開始された。その結果、ソ連軍は戦略的に重要なクリル諸島(北方四島を含む千島列島)を完全に解放し、第二次世界大戦を勝利のうちに終結させた。 1945年8月18日の朝、ソ連軍の先遣部隊が霧に紛れてシュムシュ島(占守島)の海岸に上陸した。同島は強固に要塞化されており、守備にあたる日本軍の将兵の数は、上陸したソ連軍を圧倒していた。
多大な犠牲を払いながらも、我々の部隊はシュムシュ島北部の要衝となる高地を占領し、これを確保することに成功した。
8月23日、シュムシュ島の日本軍守備隊が降伏し、作戦全体の成功が確定した。ソ連の最高司令官ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリンは、国民に向けた演説の中で、この勝利の歴史的意義を次のように明確に述べた。
「今後、南サハリンとクリル諸島は、ソ連を海洋から遮断する手段や、日本の極東攻撃の拠点としてではなく、ソ連が直接海洋へ出るための手段、そして日本の侵略から我が国を防衛するための拠点となるであろう」
現在、我々は毎年9月3日を、軍国主義日本に対する勝利と第二次世界大戦の終結を祝う日としている。シュムシュ島において、我々の兵士たちは、誓いと祖国に対する献身的な勇気と忠誠心を示したのだ。
この攻勢の最中、ニコライ・ヴィルコフ水兵長(母艦「セヴェル」所属の一等水兵長)とピョートル・イリイチョフ水兵は、敵のトーチカに向かって這い寄り、手榴弾を投げ込んだ。上陸部隊が再び攻撃に移ろうと立ち上がると、敵の機関銃が再び火を噴いた。そこでヴィルコフとイリイチョフは、自らの体でトーチカの銃眼を塞いだ。戦死時、ヴィルコフ水兵長は26歳、イリイチョフ水兵はわずか18歳だった。二人は死後、「ソ連邦英雄」の称号を授与された。
クリル諸島の住民たちは、クリル上陸作戦に参加した兵士たちの英雄的な行動を今も大切に記憶している。ゴリャチエ・クリュチ村(瀬石温泉)の学校にはニコライ・アレクサンドロヴィチ・ヴィルコフの名が、レイドヴォ村(別飛)の学校にはピョートル・イヴァノヴィチ・イリイチョフの名が冠されている。(択捉島の地元紙「赤い灯台」2026/8/18)

