択捉島発祥のギドロストロイ社創立35周年 元従業員30人を島に招待

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極東最大の持ち株会社になった漁業・建設企業「ギドロストロイ」が創業35年を記念して、かつて同社で働いていた元従業員約30人を同社発祥の地である択捉島に招待した。招待状はかつて建設作業員、漁師、管理部門、労働者、機械オペレーターとして同社で働いた全国各地(クラスノダール地方、モスクワ、サンクトペテルブルク、シベリアや極東の都市、ユジノサハリンスク)のOBに送られた。ギドロストロイ社設立当初から入社した人もいれば、少し遅れて入社した人もいるが、それぞれが会社と島の歴史に紛れもない貢献をし、消えることのない足跡を残した。

一行は択捉島ヤースヌイ空港に降り立った。かつて同社に勤務していた人々にとって、この新しい空港に足を踏み入れるのは初めてのことだった。ヤースヌイ空港の建設が始まった当時、島民はブレべスニク空港(天寧)を利用していた。ギドロストロイ社が建設した空港は、11年近くにわたり定期的に旅客を扱っている。もはや悪路を60キロも移動する必要はない。新しい空港は、クリリスクの中心部から車でわずか10分の距離にあるからだ。

島で滞在したのは同社が建設した最高級のホテル「ヤンキト」。元従業員たちはキトヴィ(内岡)の水産加工場を案内された。ここでは、サケだけでなくタラやスケトウダラも処理し、カニカマの原料となる「すり身」を生産できる新しい製造ラインが導入されている。同社は「廃棄物ゼロ」の生産原則を掲げ、すべての副産物を余すところなく処理している。その結果、かつては単なる「魚やカニの餌」に過ぎなかったものが、市場で高い需要を誇る高品質な魚粉へと生まれ変わった。

上階で新鮮な原料が加工される中、運転手のマメド・アリ・メフティエフは満足げに建物の構造を眺めていた。誰もが「マメド」と呼ぶ彼は、昨年本土へ移住したが、この施設の建設には携わることができた。彼はあらゆる種類の重機を操縦できる多才な運転手だ。しかし、彼が何よりも情熱を注いでいるのは、どんな大きさの荷物でも運べる大型のスカニア製トラックであり、彼はそれを並外れた注意深さと正確さで操縦してた。「工場を一日も早く稼働させるために、昼夜を問わず働いたことを覚えています。誰もが信じられないほどの意欲に燃えていました」と、マメド・メフティエフは施設を指差しながら語った。

「今こうして見ると、自分の努力が無駄ではなかったと実感し、心が熱くなります」–施設を見学した後、セミョーン・フョードロヴィチは感想を語った。「ここも、そしてオゼルスキーの工場も素晴らしい。大規模かつ極めて専門的なプロジェクトだ。しかも、これらすべてが短期間で成し遂げられた。この複合施設は、養殖(ここには孵化場もある)や漁獲から最終加工に至るまで、生産の全工程を網羅している。これこそ、未来の複合施設の姿だ!」

セミョーン・フョードロヴィチは、思い出と大きな誇りを胸に、専門家らしい口調で語った。彼は数多くの施設の建設に携わってきた人物であり、択捉島の工場だけでなく、オーリャ湾(オーヨ)にゼロから建設された工場にも尽力していた。

島の古くからの住民は、2005年3月にレイドヴォ村(別飛)の中心部で発生した凄まじい火災を今も覚えている。その火災で、島最大の水産加工場が全焼してしまったのだ。目指したのは単なる生産棟の建設ではなく、巨大な複合施設を迅速に築き上げることだった。

アレクサンドル・グリゴリエヴィチ・ヴェルホフスキーやユーリ・ニコラエヴィチを含む経営陣と、プロジェクトに直接携わった人々だけが、そこに費やされた並外れた努力を真に理解している。さらに、建設地の造成そのものも難題だった。施設を建設する予定だった丘の中腹では発破作業が必要だったが、近隣の住宅に粉塵が降り注がないよう、細心の注意を払う必要があったのだ。建設はどのように進められたのだろうか。かつてのような、重量物の輸送を想定していない道路で資材や構造物、機材を運ぶ時代は終わっていた。しかし、ギドロストロイは、湾へ直接車両でアクセスできる、見事な直線状の幹線道路を建設した。それ以前は、あれほど重い機械を斜面の下まで運ぶために、かなりの技術と度胸が必要とされていた。

オーリャ湾の水産加工場は、火災の翌年である2006年に最初の水揚げを迎えた。20年前に確立された「迅速かつ効率的な建設」という伝統は、今日まで受け継がれている。

「私たちの仕事が今も生き続けていること、そして現役の社員たちが『ギドロストロイ』のモットーであり指針でもある『恥じることのない仕事をする』という精神を理解してくれていることを、大変嬉しく思います」と、セミョーン・フョードロヴィチ氏は締めくくった。

10〜12年ぶりに島を訪れた元従業員たちは、道路の質の高さ(択捉島で初の舗装道路が開通したのは2011年のことだった)や、新しい管理棟、学校、健康・レクリエーション施設の充実ぶりに嬉しい驚きを覚えた。一行はキピャシチャヤ川や「ジャルキエ・ヴォディ(熱い水)」のエリアを訪れ、遊歩道での散策を楽しんだ。

元従業員を称え、特注の金製バッジを授与する祝賀の夕べにおいて、同社の創業者アレクサンドル・グリゴリエヴィチ・ヴェルホフスキー氏は、次のように語りかけた。

「この島を訪れる人々は、舗装された道路や空港、ホテル、近代的な加工場が、以前からずっとそこにあったかのように思いがちです。しかし、私たちはかつて、特に90年代がどのような状況だったかを知っています。私たちの力を結集したことで、択捉島はより良い場所、住みやすい場所へと変わりました。建設業者、機械技師、水産加工員、あるいは管理者として、私たちはそれぞれの役割を担い、この島のあらゆる発展に関わってきました。私たちは共に、間違いなく誇りとできる成果を成し遂げたのです。多大な共同の努力が実を結んだ姿を目の当たりにし、私は大きな誇りを感じています」

それは単なる祝賀会にとどまらず、同じ仕事に従事し、職務への献身と共通の精神で結ばれた人々が集う場となった。

受賞者一人ひとりが、その勤勉さと会社への忠誠心に対する敬意を込めた拍手で迎えられた。社内で「択捉島の全漁師の父」として知られるヴァレリー・イリイチ・クニャゼフ氏は、半世紀以上にわたって愛するこの仕事に人生を捧げてきた。彼は島の漁業の礎を築き、その伝統を確立した人物である。

どんな仕事もこなせる真の万能スペシャリストとして頼りになる存在だったウラジーミル・ミハイロヴィチ・グリャズノフ氏は「この町を見て、以前とは別世界に来たような感覚を覚えました。2012年にここを離れて以来、多くの変化がありましたが、それが良い方向への変化であることを大変嬉しく思います。クリリスクは単に書類上の町ではなく、名実ともに『町』と呼べる場所になりました。ここを訪れ、美しい景色を眺め、友人たちと再会する機会を与えてくれたギドロストロイ社に感謝しています」と語った。

経済的な安全保障を含む社内のセキュリティ管理を担っているイーゴリ・アナトーリエヴィチ・マリコフ氏は「会社には浮き沈みがありました。特に創業当初に直面した困難については、経営陣しか知らない苦労もあったはずです。しかし、従業員がその影響を受けることはありませんでした。皆が仕事を続け、安定した給与を受け取り、家族を支えてきたのです。ギドロストロイ社の成功の秘訣は、中核となるチームを維持し、優秀なスペシャリストたちを離さなかったことにあると思います」と指摘した。

その夜は、「昔は……」という言葉が何度も聞かれた。事業の立ち上げ当初については、語り尽くせないほどの逸話がある。今となっては笑顔で振り返られる話もあれば、当時は笑い事では済まされないような事態もあった。例えば、キトヴィでの深水桟橋建設の際には、創意工夫を凝らした対応が求められた。その一例として、桟橋建設時の浚渫作業でショベルカーを操縦したヴァレリー・ヴラドソヴィチ・マスラウスカス氏の活躍が挙げられる。その機械が海へ滑り落ちるのを防ぐため、巨大なブルドーザーにケーブルでつなぎ止めておく必要があった。その出来事を振り返り、ヴァレリー・ヴラドソヴィチは大きく息を吐き出し、ただ一言こう言った。「あれはまさに『エクストリーム』だったよ!」

彼らは物理法則や構造工学の常識を覆すような仕事をしてのけた。色丹島では、桟橋を早急に解体する必要があり、ウラジーミル・ボリソヴィチ・プリホドコとセルゲイ・ウラジーミロヴィチ・ゾシモフがその任務に当たった。当時、島で発電所の建設に従事していた日本人作業員たちは、ロシア人たちが作業する様子を見て、通訳を介して「何をするつもりなのか」と尋ねました。そしてその答えを聞くと、彼らは「それほど重いものを持ち上げるなんて不可能だ」と断言したのです。

「彼らを見返してやろうと決めたんです。作業を終えたときの彼らの顔といったら……」と、ウラジーミル・ボリソヴィチは笑顔で振り返える。彼は島でも屈指の、いや最高のクレーンオペレーターの一人だ。

タチアナ・ベロウソワは現在、クリル地区の代表機関(地区議会)を率いているが、ギドロストロイ社での勤務時代を温かい思いで振り返っている。

「私は二つの異なる視点から会社を見ることができました。あそこで働いた時期は、おそらく私の人生で最高の時間でした。それは創造の時代であり、力強い勢いに満ちた時代でした。そして、それは社員一人ひとりにとっても同じことでした。あのチームの一員であったことを誇りに思います。それはまさに、『クリル諸島社会経済発展プログラム』の主要プロジェクトが次々と実施されていた時期のことでした。このプログラムが島にもたらした恩恵は、現世代の人々にすでに高く評価されていますが、今後この地で暮らし、働く人々にとっても同様に価値あるものとなるでしょう。ギドロストロイ社を真に際立たせているのは、その知的なアプローチ、規律正しさ、質の高い施工技術、そして自らの仕事に対する強い責任感です。島内でこれほど優れた仕事をしてきた企業、あるいは現在行っている企業は他にないと、私は断言できます」

「クリル諸島社会経済発展プログラム」実施局の責任者を務めたヴァレリー・ヴァシリエヴィチ・レブロフ氏は、1990年代に信頼できる「支え」となる企業が誕生したことは、択捉島にとって幸運なことだったと語っている。

今では覚えている人も少なくなったが、1990年代初頭、クリル諸島をめぐる情勢は極めて緊迫していた。日本は島の返還を求めてあらゆる方面から圧力をかけており、中央政府内には、島々を隣国へ「贈り物」として引き渡す用意のある者さえいたのだ。幸いなことに、そのような事態には至らなかった。そして、ギドストロイ社の急成長こそが、それを防いだ重要な要因の一つだったのである。

日本側は、このクリル諸島での事業の成功を懸念の念を持って見守っていた。公共放送であるNHKの報道でも、ギドロストロイ社の事業が成功を収めていることで、同諸島の返還の可能性は極めて低くなっていると明言されていた。現地住民は、択捉島での生活が急速に変化していくのを目の当たりにした。かつては領土の引き渡しを求める声もあったが、2000年代初頭までにはそうした声も聞かれなくなった。

ナタリア・ニコラエヴナ・メルズリャコワ氏は1992年、通常の経理担当者として同社に入社し、やがて財務部長の地位にまで昇進した。

「私たちは成功のたびに喜びを分かち合いました。しかし当時、小さな会社がこれほど巨大なホールディングスへと成長するとは、誰も想像していませんでした。建設業だけでなく、漁業や観光業も手がけ、さらには慈善活動にも積極的に取り組む企業になったのですから。ギドロストロイは常に、人々に雇用と将来への確信をもたらす企業であり続けてきました。そして、仕事があるところには、生活の拠点も生まれるのです」とナタリア・メルズリャコワ氏は語った。

イリーナ・アレクサンドロヴナ・ノソワ氏は、水産加工員として同社でのキャリアをスタートさせた。現在は「ヤースヌイ」水産加工場の責任者を務めているが、当時の作業工程や労働環境、そして多大な手作業を要する業務内容を鮮明に覚えている。

「加工ラインでの作業は、本当に忘れられない経験でした!1つのラインに24人、工場全体では420人が働いていました。それでも、私たちは心からの意欲と活力を持って乗り越えることができましたし、常に経営陣からのサポートを感じていました。従業員は常に公平に扱われていましたから」とイリーナ・ノソワ氏は語った。

ゲストの中には、年齢はまだ若いものの、長年の勤続により「ベテラン」と呼ぶにふさわしい人々、特に大学卒業後すぐに入社した社員が多くいます。「クリルスキー・ルィバク」で水産養殖担当副部長を務めるセルゲイ・イヴァノヴィチ・ボルゾフ氏は、大学を卒業したばかりの22歳の時に、養殖技術者として入社した。以来32年間、彼はサケの稚魚の増殖事業に尽力してきた。セルゲイ・イヴァノヴィチ氏は、サハリン州における業界屈指のスペシャリストの一人として、その実力を高く評価されている。アレクセイ・ヴィクトロヴィチ・コレスニコフ氏もまた、この業界で30年以上にわたり活躍してきた。ヴァレリー・イリイチ・クニャゼフ氏と共にキャリアをスタートさせた彼は、これまでに20もの施設の建設に携わってきた。

「ここで働いてきたことを後悔したことは一度もありません。共に働き、彼らから技術を学ぶ中で、ギドロストロイ社には素晴らしい未来があると確信していました」

パーヴェル・クラフチェンコ氏とヴァレリー・コジネツ氏は、1990年代初頭、学生建設隊の一員として択捉島にやって来た。現在、パーヴェル・イヴァノヴィチ氏はJSCギドロストロイの副総支配人を、ヴァレリー・イヴァノヴィチ氏はチーフエンジニアを務めている。

「共に歩み始め、多くのことを学んだ仲間たちの姿を見ると、胸が熱くなります。ギドロストロイは単なる労働集団ではありません。固い絆で結ばれた大きな家族なのです」とパーヴェル・イヴァノヴィチ氏は語った。

一方、ヴァレリー・イヴァノヴィチ氏は、同社の安定性と信頼性の高さがギドロストロイを選んだ理由だと説明した。

「私は生涯をかける決断をしましたが、それを後悔してはいません」とヴァレリー・コジネツ氏は述べている。

「ギドロストロイ」には、同社で働く家族の系譜も存在する。チーフメカニックのセルゲイ・アナトリエヴィチ・ミハイロフ氏は、父親が同社に勤務していた際に入社し、現在では息子のオレグ氏がその伝統を受け継いでいる。

「『ギドロストロイ』での生活は常に刺激的で、退屈することなどありません。絶えず学び、技術的に不可能に思えるような問題の解決策を見つけ出す必要があります。しかし、その解決策がもたらす成果は一目瞭然です。数年ぶりにこの島を訪れた人々は、島の変貌ぶりに心底驚いていますよ」

ドミトリー・オレゴヴィチ・カレリン氏は現在、択捉島に到着するほぼすべての貨物の玄関口であるクリリスク港湾施設の責任者を務めている。しかし以前は、色丹島をはじめとする各地で加工場の建設に携わっていた。

彼と同僚たちは、湾の独特な自然環境を保全し、歴史的遺物を保護しつつ、コンセルヴナヤ地区の用地を整備し、そこに魚の孵化場を建設した。ドブリニャ湾などでの建設プロジェクトも彼の指揮の下で実施された。

ライサ・アリェヴナ・ドドヴァ氏が表彰を受けるために前に出ると、割れんばかりの拍手が沸き起こった。製品のラベルにこの名匠の名があれば、それは品質の証となる。専門家として揺るぎない権威を持つだけでなく、ライサ・アリェヴナ氏は実に温かく親切な人柄の持ち主でもある。

同社の「魂であり、参謀役」として知られるヴァレンティナ・アンドレエヴナ・ガルディ氏は、同僚間の絆について次のように語った。

「『ギドロストロイ』の功績は、択捉島での生活を一変させたこと(これは紛れもない事実だが)だけにとどまりません。従業員全員が、固い絆で結ばれた一つの大きな家族のようになったことも大きな成果です。彼らは共通の使命と目標で結ばれています。このようなチームなら、どんな困難にも立ち向かえるでしょう。皆さんの仲間意識、友情、そして愛に感謝します。そして、この集まりを企画してくれたアレクサンドル・グリゴリエヴィチ氏とユーリ・ニコラエヴィチ氏に心から感謝します!同ホールディングスの安定性は、堅実な経営判断に支えられています。グループは、漁獲・加工、建設、そして近年では観光やミネラルウォーター生産など多岐にわたる事業を展開しており、アルコール飲料事業への参入も計画されています。ある部門の業績が振るわなくても、他の部門がその損失を補うことができるのです。それでもなお、最も重要な要素は「人」であり、その人々がどのように扱われるかということです」

アレクサンドル・ヴェルホフスキー氏は「私たちは、社員が持つプロフェッショナルとしての可能性――現に存在し、成長し続けているその可能性――をもって、自社の成功を測っています。経験が示す通り、人がいなければ『ハードウェア』など無価値に等しいのです。創業当初から共に歩んできた社員たちを、私たちは誇りに思っています。彼らこそが企業の屋台骨であり、いわば『金の埋蔵量』とも言える存在です。社員は、私たちがその上に立つ強固な基盤なのです」と話した。(択捉島の地元紙「赤い灯台」2026/8/23)

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