旧樺太の熊笹峠  南サハリン解放をめぐる日ソの戦闘が再現された

サハリン

8月22日、サハリンのホルムスク地区において、ロシア国内の12地域から集まった参加者たちが「カミショフ峠(※熊笹峠)の戦い」を再現した。これは1945年、日本軍の占領下にあった南サハリンを解放するための象徴的な戦闘の一つ。

イベントは、戦死したソ連兵の集団墓地への献花から始まった。サハリン州のアレクセイ・クルチニン副知事が参加者に向けて次のように挨拶した。

「親愛なる皆さん、まず初めに、『ロシア国旗の日』をお祝い申し上げます。国旗は国家の最も重要な象徴の一つであり、私たちを団結させるものです。父や祖父、曾祖父の世代は、赤い旗を掲げ、西ではナチスを打ち破り、ここ東では日本の軍国主義者と戦いました。1945年8月、この地で第二次世界大戦の終結が迎えられようとしていました。カミショフ峠では激しい戦闘が繰り広げられました。この高地を制することは、島の奥地へと続く直通ルートを切り開くことを意味していました。その重要性は、2日間にわたり必死の抵抗を続けた日本軍も、英雄的な突撃を敢行したソ連兵も理解していました。ここで戦った英雄たちの偉業は、サハリンの歴史に永遠に刻まれています。サハリンとクリル諸島(北方四島を含む千島列島)の解放は、現在の境界線を持つ私たちの地域が形成される始まりとなりました。そして今日、この峠で戦死したエフゲニー・チャプラノフ下級軍曹のように、私たちの兵士たちは『(ウクライナ)特別軍事作戦』の地域において、見事に、そして英雄的に任務を遂行しています。最高司令官であるウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン大統領が択捉島で述べたように、わが国には勝者の遺伝子が息づいているのです」

1945年8月20日、ソ連軍は現在のホルムスクにあたる真岡(マオカ)港に上陸した。空挺部隊はわずか40分で港湾施設を制圧し、数時間のうちに市街全域を占領した。撤退する日本軍は、カミショフ峠に陣を敷き、抵抗を続けた。この要塞化された地域は、第113独立狙撃旅団の兵士たちによる英雄的な突撃によって攻略され、8月22日までに制圧された。そのわずか3日後、豊原(現在のユジノサハリンスク)の防衛線が崩壊し、南サハリン攻勢作戦は終結した。

2022年以来、地元住民の主導と「ロシア探索運動」および州・地区当局の支援により、カミショフ峠でこの重要な戦闘の再現イベントが行われている。今年は、全国から約40人の参加者が集まり、この有名な戦闘を再現した。この愛国的なイベントでは、第二次世界大戦当時の兵器(音響・照明効果付き)に加え、労農赤軍や大日本帝国陸軍の軍服や装備品が使用された。

「日本軍を演じるのは今回で4回目です。非常に複雑で、高い演技力が求められる役柄です。敵役を演じる者は、相手が強大な軍隊であったことを示さなければなりません。当時、日本はアジア全域を支配下に置いていました。1945年に労農赤軍がこれほどの敵を迅速かつ果断に打ち破ったという事実は、何よりもまず、ソ連軍の練度の高さを示しています」と、タタールスタン出身の再現参加者レナト・ハリウリン氏は語った。

イベントの来場者向けには文化プログラムも用意され、展示や教育的なワークショップが行われたほか、温かいお粥を提供する野外炊事場も設置された。

同州では、サハリンとクリル諸島を解放したソ連兵の英雄的行為を称えるための大規模な取り組みが進められている。スミルヌイフ地区にあるハンダサ警察駐在所(半田沢の国境警察署)への攻撃を再現する、軍事史をテーマにした大規模なイベントも毎年開催されている。また、プーチン大統領の指示により、第二次世界大戦の最後の主要な戦闘となった「クリル(千島)上陸作戦」の舞台であるシュムシュ島(占守島)に、記念施設が建設されている。上陸作戦の記念日にあたる8月18日には、ヴァレリー・リマレンコ知事が同島を訪問し、記念行事に参加した。そのハイライトとなったのは、クリル諸島解放の戦いで戦死したソ連兵の遺骨をセヴェルナヤ山(四嶺山)に埋葬する式典だった。(astv.ru 2026/8/22)

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