択捉島のクリル地区議会は、レイドヴォ村(別飛)の新しい通りに、同島の水産業の発展に貢献した「クリリスキー・ルィバク」の初代社長ウラジーミル・ボチャルニコフ氏の名を冠する議案を全会一致で承認した。
新しい通りは、クリリスク(紗那)~レイドヴォ間の道路に隣接している。クリリスコエ・ハイウェイを起点とし、レスナヤ通りやストゥデンチェスカヤ通りに沿って走り、オーリャ湾(オーヨ)へと続いている。
ウラジーミル・ボチャルニコフ氏は「クリリスキー・ルィバク」社を率い、同地区の社会経済的発展およびサハリン州の水産業の確立に多大な貢献をした。同氏を称えて通りに命名するという提案は、同社の従業員やレイドヴォの住民から出されたものだ。
クリル地区のコンスタンチン・イストミン市長は「これは、択捉島のために多大な尽力をした人物の記憶を称えるものです。こうした決定は、世代間の絆を強め、地域住民の記憶を次代へとつなぐものです」と語った。(sakh.online 2026/8/26)

択捉島で「ペトロヴィチ」の名前を知らない人はいない(択捉島の地元紙「赤い灯台」2026/8/27)
択捉島でウラジーミル・ペトロヴィチ・ボチャルニコフを知らない人、あるいは彼の名前を聞いたことがない人を見つけるのは難しい。彼は1980年にまだ若かった頃にこの島にやって来た。建設専門学校の学位を取得後、三等大工としてキャリアをスタートさせた。長年建設作業員として働き、最終的にはギドロストロイ社の主任技師にまで昇進した。
そして2006年、合併後のクリリスキー・ルィバク社の社長に就任した。キャリアを大きく転換したペトロヴィチ(島の住民たちは敬意を込めてこう呼んでいた)は、その職務を立派に果たした。彼が在任していた期間に、択捉島、色丹島、サハリンに水産加工工場が建設され、近代化された。彼は多くの人々に良い思い出と、円滑に機能する企業を残した。
2024年、ウラジーミル・ペトロヴィチは択捉島を離れ、同年10月末に逝去が発表された。レイドヴォ村の通りにボチャルニコフの名が冠されたことは、まさに正当かつ象徴的な出来事だ。ウラジーミル・ペトロヴィチは、この地で人間としても、そして高度なスキルを持つ専門家としても、その才能を存分に発揮した。


