1990年代–色丹島の歴史を彩る興味深いエピソード

色丹島の話題

数日前、水陸両用機の操縦桿を握り、モスクワから短距離飛行でつないで色丹島へと向かい、オトラドナヤ湾(又古丹湾)の水面への着水に成功した、ロシアの有名なミュージシャンの話題を紹介した。彼は着水しただけでなく、水面から離陸することにも成功した。

しかし、島の海域に着水したパイロットは彼が最初ではない。1990年代に行われたBe-12水上機の試験飛行については、これまでも何度か触れてきた。今日は、ゴロベツ湾への着陸には成功したものの、離陸に苦労したあるパイロットの回想録を紹介する。

「……他の島々も探索してみる時期が来ていました。択捉島は選択肢に入っていませんでしたが、色丹島なら試してみる価値がありました。依頼人が色丹島のパイロットブック(水路誌や飛行用資料)を持参していたので目を通してみると、島内には上陸に適した場所が一つもないことが分かりました。この島は国後島ほど山が険しくはありませんが、低い丘陵に覆われており、数少ない谷間も小さく湿地帯になっていました。かつて日本人が丸太を敷き詰めた道で補強した滑走路を持つ小さな飛行場を建設していましたが、仮にそれが残っていたとしても、我々にとっては不向きなものでした。地上を滑走することさえできなかったでしょう。私たちはマロクリリスコエ(斜古丹)の近くに着水し、そこから湾内を移動して集落の近くに係留することに決めました。予備の選択肢としてはクラボヴァヤ湾(アナマ湾)とゴロベツ湾を挙げていました。準備に時間はかかりませんでした。支度を整え、私たちは離陸しました。私たちは乗客のほとんどを国後島で降ろし、色丹島へと向かいました。しかし、その後事態は思わぬ方向へ……」

このエピソードは、マロクリリスコエ中等学校の卒業生であるエフゲニー・デニソフ氏から寄せられたもの。現在、彼は中国の天津港で巨大なばら積み貨物船の指揮を執り、世界中の海を航海する準備を進めている。当時の写真にAIで少し色を加え、鮮明さを高めることについて、撮影者もきっと異存はないだろうと判断した。

最後の2枚の写真は、国後島におけるBe-12の最後の着陸の様子を捉えたものだ。

ずいぶん昔の出来事だが、国後島ユジノクリリスク湾(古釜布湾)への墜落という形でその輝かしい旅を終えたあの水上機のことは、今でも鮮明に覚えている。もしこの投稿が好評(リアクション数50件)であれば、エフゲニーが持つもう一つの非常に興味深い実話をご紹介する。それは、日本人が北海道へ強制送還される前に、日本人とソ連の人々が共に暮らしていた時代にまつわる話だ。(Shikotan Telegraph 2026/8/24)

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